山田洋次監督が語る「森川信」4つのエピソード。『男はつらいよ』番外編。

『男はつらいよ』“おいちゃん”役で出演中の森川信

まずは、住井すゑとの対談形式を取っている、1998年2月15日発行の「寅さんと日本の民衆」から。

山田(洋次) 例えば、亡くなってしまいましたが、最初のころは森川信さんがおいちゃんの役でした。

寅さんが美女に恋をしてつまずいたり、転んだり、ぽっと上気してへんな言葉を口走ったりなんかするのを見ていたおいちゃんがふかぶかとため息をついて、「バカだねえ」っていうんですよ。

森川さんが「バカだねえ」っていうと、もう観客がワァーと待ってたように大笑いする。

これもぼくは台本に書いてないセリフです。

「ため息をつく」くらいに書いたんです。

それを森川さんが「バカだねえ」っていったらものすごくおかしかったんです。

寅さんの映画は外国にもでますんで、最初は "He is foolish" みたいな乱暴な翻訳でした。

それはないじゃないかと、もめたことがあったんです。

あいつはバカだっていえば、単に彼を軽蔑しているようなことでしかないはずなんで、しかし、おいちゃんが「バカだねえ」といって観客が笑うのは、それが愛情の表現になっているからなんです。

愛情の表現なのに、なぜ「バカだねえ」という侮蔑の言葉を使うかということについては、いろんな考え方ができる。

あいつはたしかにおろかしい。

これは事実である。

しかし、そのおろかな男をなんとおれは愛しているということは、おれもまたおろかな人間なんだなあというか、そのおろかさを自分で認めちゃっているというかね。

しょうがないな、人間というものはなんだか困った存在だなというふうな、人間に対するある種の諦観みたいなものまで含めて、森川信さんは「バカだねえ」っていっている。

そういうニュアンスを観客は正確に受け取って笑ってるんじゃないかと。

だから、観客というのは本当にいいものをちゃんと正確に受け取ることができる賢い人たちなんだと、ぼくは思いますね。

理屈の好きな中途半端なインテリは、むしろそういうふうに受け取らない。

肉体を使って働いている人たちは大事なことをちゃんと受け止めて、敏感に反応して笑ったりしてくれているんじゃないかと思いますね。

「寅さんと日本の民衆 (山田洋次)」

次は、1978年11月17日発行の「映画をつくる」からの引用です。

「天才は常に誰かに似ている。しかし誰も天才には似ていない」という古い言葉がありますが、その意味で渥美清という人はまさしく天才であろうと思います。

かつておじさん役を演じていた名優故森川信さんの想い出話を彼としていたとき、私があの森川信の芝居の楽しさ、たとえば台詞がなにもなくても、森川信がおどろいたような顔でとらやの店の表に立っている寅さんを見る、ひょいと見たその表情だけで観客は大爆笑をしてしまうのだが、そういう演技というものを、森川信は長い役者の生活のなかでどうやってつかみえたのだろうか、といったような質問を彼にしたところ、渥美さんは言下に「いや、天賦の才です」と答えたものです。

そのとき私は、かつて志賀直哉の文学をめぐって久米正雄芥川竜之介が語りあったときに、久米正雄が、志賀直哉の芸術は彼の生い立ちと関係している、といったようなことをいったとき、芥川竜之介が言下に「いや、天賦の才です」と答え、同席者の誰かが、いやそれにしても、といいかけるのにかぶせるように「いや、天賦の才です」とくりかえし答えていた文章を読んだことを想いだしたものです。

じつに、天賦の才というものは、天賦の才ある人によってのみ発見できるのではないか、という感想です。

映画をつくる (山田洋次)

3冊目は、1984年8月発行の「映画館がはねて」。

(「こやがはねて」と読みます。)

新聞や雑誌などに発表されたエッセイを集めたもので、山田監督の感受性の豊かさが堪能できる素晴らしい一冊です。

先日、喜劇俳優の森川信さんが亡くなられ、その葬式が行われた。

ご存じの方も少なくないと思うが、森川信さんは私の作品「男はつらいよ」シリーズで、渥美清演ずるフーテンの寅さんの叔父さん役として、このシリーズには絶対欠かすことのできない大黒柱のような存在だった人である。

九作目の脚本を執筆中だった私は、あまりの突然のことにぼう然として、肉親の死以上の悲しみにとらわれ、葬式にのぞんでいた。

焼香から出棺までの何となく手もちぶさたの時間をボンヤリ過ごしながら、時折、顔見知りの人達と「どうもどうも」と無意味なあいさつをかわしていた私のかたわらへ、黒い着物を着た飯田蝶子さんがやってきて、「山田さん」と声をかけた。

飯田さんは私の作品には二回、それも五年前に出演していただいただけのおつき合いなのだが、私の顔をちゃんと覚えておられて、こうあいさつをされた。

「あなたがどんなにかお力落としだったでしょうね」短いことばだったが、いまだにはっきりと覚えているのである。

それは私の心を正確に言い当てている。

というより、そのことばを聞いた私に、「ああそうだ、私は今落胆しているんだな」と、自分自身の思いに気づかせてくれるような、優しい心づかいにあふれたことばだった。

私は大変心慰められる思いで頭を下げ、何かお返しのことばを、と思ったが、「どうも」という貧しいことばしか出なかったのである。

(一九七二・四・一八「新潟日報」)

「映画館がはねて (山田洋次)」

「男はつらいよ」シリーズは、昭和四十三年にテレビドラマでスタートしたのだが、このテレビの時から映画の第八作目まで寅さんの叔父さんを演じたのが、森川信さんである。

残念ながら私は森川さんの舞台を見たことがないのだが、この人の柔軟な肉体が表現する世界は素晴らしいもので、たとえば病気で寝ていた男が何かの拍子にびっくりする、という時に、森川さんは寝たままでポンと四、五十センチほど、まるで漫画のように体を宙にうかせたものだという。

あるいは森川さんの泥棒と相手役の刑事が取っ組み合いをしているうちに、お互いの手足が複雑にからまってしまって動きがつかなくなり、舞台の上で横になったまま「それはおれの足だ」とか「これはおれの手か」とか言いながら苦しみもがくありさまに、満員の観客のあげる笑い声がどよめきのようだった、という話を渥美清さんからゼスチャア入りで聞いたこともある。

年とともに芸が枯れてきて、ヒョウヒョウとした味わいの中になんともたまらないおかしさが漂っていて、出来損ないの甥の寅さんの四角い顔を眺めては溜息をつく森川さんの表情に、観客は腹をかかえて笑ったものだった。

晩年の森川さんは、ある時期娘さんとの間に感情的なトラブルがあって、子供思いの森川さんはそのことでとても苦しんでいたらしい。

葬式の日、焼香の順番を待ちながら、隣にいたコメディアンの谷幹一さんがこんな話をしてくれた。

名古屋の劇場の公演中のこと、自分の出番を待つ森川さんが、舞台の袖に上る狭い階段に腰を下ろし、壁に開けた小さな窓の向こうの街の夜景を黙りこくって眺めているので、共演者の谷さんが、「おやじさん、どうしましたか」と軽口をたたきながら森川さんの顔をのぞきこんだところ、両ほおを涙でぬらして泣いていたそうである。

「あんな困ったことはありませんよ。もうすぐ出番でしよ。お客さんはワーッと笑おうと、おやじさんを待ち構えているんですからね」

谷さんは「おやじさん、しっかりして下さい」と励まし、森川さんは「わかってる、わかってる」と涙をふきながら領いていたという。

“森川さんがいなくなったらもうこのシリーズは終わりだな、まあこれだけ続いたからいいや”などとあのころ私は考えていたものだ。

「映画館がはねて (山田洋次)」

『男はつらいよシリーズ - 極私的星取り表』

No.01 ★★★★☆ 男はつらいよ (光本幸子、志村喬、広川太一郎)

No.02 ★★★☆☆ 続・男はつらいよ (佐藤オリエ、東野英治郎、ミヤコ蝶々、山崎努)

No.03 ★★☆☆☆ 男はつらいよ フーテンの寅 (新珠三千代、香山美子、河原崎建三、花沢徳衛)

No.04 ★★☆☆☆ 新・男はつらいよ (栗原小巻、財津一郎、三島雅夫、横内正)

No.05 ★★★★☆ 男はつらいよ 望郷篇 (長山藍子、杉山とく子、井川比佐志、松山省二)

No.06 ★★★☆☆ 男はつらいよ 純情篇 (若尾文子、森繁久彌、宮本信子、垂水悟郎)

No.07 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 奮闘篇 (榊原るみ、ミヤコ蝶々、田中邦衛、柳家小さん)

No.08 ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎恋歌 (池内淳子、吉田義夫、岡本茉利、志村喬)

No.09 ★★★★★ 男はつらいよ 柴又慕情 (吉永小百合、宮口精二、佐山俊二)

No.10 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎夢枕 (八千草薫、田中絹代、米倉斉加年)

No.11 ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎忘れな草 (浅丘ルリ子、織本順吉、毒蝮三太夫)

No.12 ★★★☆☆ 男はつらいよ 私の寅さん (岸惠子、前田武彦、津川雅彦)

No.13 ★★★★★ 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ (吉永小百合、高田敏江、宮口精二)

No.14 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎子守唄 (十朱幸代、月亭八方、春川ますみ、上條恒彦)

No.15 ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎相合い傘 (浅丘ルリ子、船越英二)

No.16 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 葛飾立志篇 (樫山文枝、桜田淳子、米倉斉加年、大滝秀治、小林桂樹)

No.17 ★★★★★ 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け (太地喜和子、宇野重吉、岡田嘉子)

No.18 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 (京マチ子、檀ふみ、浦辺粂子)

No.19 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎と殿様 (真野響子、嵐寛寿郎、三木のり平、平田昭彦)

No.20 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎頑張れ! (藤村志保、中村雅俊、大竹しのぶ)

No.21 ★☆☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく (木の実ナナ、武田鉄矢、竜雷太)

No.22 ★★★★☆ 男はつらいよ 噂の寅次郎 (大原麗子、室田日出男、泉ピン子、志村喬)

No.23 ★★★★☆ 男はつらいよ 翔んでる寅次郎 (桃井かおり、湯原昌幸、布施明、木暮実千代)

No.24 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎春の夢 (香川京子、ハーブ・エデルマン、林寛子)

No.25 ※※※※※ 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 (浅丘ルリ子、江藤潤)

No.26 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 (伊藤蘭、松村達雄、村田雄浩)

No.27 ★★★☆☆ 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 (松坂慶子、芦屋雁之助)

No.28 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎紙風船 (音無美紀子、地井武男、岸本加世子、小沢昭一)

No.29 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 (いしだあゆみ、片岡仁左衛門)

No.30 ★★★☆☆ 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 (田中裕子、沢田研二、朝丘雪路)

No.31 ★★★☆☆ 男はつらいよ 旅と女と寅次郎 (都はるみ、北林谷栄、中北千枝子、藤岡琢也)

No.32 ★★★★★ 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 (竹下景子、松村達雄、中井貴一、杉田かおる)

No.33 ★★★☆☆ 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 (中原理恵、渡瀬恒彦、佐藤B作、秋野太作)

No.34 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎真実一路 (大原麗子、米倉斉加年、風見章子、津島恵子、辰巳柳太郎)

No.35 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 (樋口可南子、平田満、初井言榮)

No.36 ★★★★☆ 男はつらいよ 柴又より愛をこめて (栗原小巻、川谷拓三)

No.37 ★☆☆☆☆ 男はつらいよ 幸福の青い鳥 (志穂美悦子、長渕剛、桜井センリ)

No.38 ★★★★☆ 男はつらいよ 知床慕情 (竹下景子、三船敏郎、淡路恵子)

No.39 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎物語 (秋吉久美子、五月みどり、河内桃子)

No.40 ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 (三田佳子、三田寛子、尾美としのり、鈴木光枝)

No.41 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎心の旅路 (竹下景子、淡路恵子、柄本明)

No.42 ★☆☆☆☆ 男はつらいよ ぼくの伯父さん (後藤久美子、檀ふみ、夏木マリ、尾藤イサオ)

No.43 ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎の休日 (後藤久美子、夏木マリ、寺尾聰、宮崎美子)

No.44 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎の告白 (後藤久美子、吉田日出子、夏木マリ)

No.45 ★★★★★ 男はつらいよ 寅次郎の青春 (後藤久美子、風吹ジュン、永瀬正敏、夏木マリ)

No.46 ★★★☆☆ 男はつらいよ 寅次郎の縁談 (城山美佳子、松坂慶子、島田正吾、光本幸子)

No.47 ★★★★☆ 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 (牧瀬里穂、かたせ梨乃、小林幸子)

No.48 ★★☆☆☆ 男はつらいよ 寅次郎紅の花 (後藤久美子、浅丘ルリ子、夏木マリ、田中邦衛、村山富市、宮川大助・花子)

特別編 [1997.11.22] ★★★★☆ 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 (浅丘ルリ子、江藤潤)

TV版 ★★★☆☆ テレビドラマ版 男はつらいよ

番外編

山田洋次監督が語る「森川信」4つのエピソード。

『男はつらいよ』が嫌い – というエントリの気持ち分かります。| 23notebook