『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』(2011)三河屋さんは元気か。

1960年代のアメリカ、ミシシッピ州。

不当に低い賃金で、黒人が白人に当たり前のように

差別されていたころの話です。

作家を目指す新聞コラムニスト

(エマ・ストーン)と

黒人メイドたちとの交流。

そこから生まれた

インタビュー集が話題を呼び、公民権運動がさらに熱を帯びていきます。

おおむねいい感じではありますが、不満なところが二つほどありました。

※ 以下、批判が続きます。

ご了承くださった方のみお読みください。

主人公は、いじわるな知り合い

(ブライス・ダラス・ハワード)に

嫌がらせをします。

預かった草稿に手を加えるのです。

意図を変えられた文章が新聞に載り、いじわるさんは町の笑いものになるのですが。。。

引っかかるのは主人公が作家志望であることです。

文章を改変するというのは、たとえそれが善意だろうと、もっといえば誤字脱字の修正であろうと、筆者に確認を取るべきだと思います。

なぜなら、筆者は何らかの目的をもって

意図的にスペルミスを

しているかも知れないからです。

まして主人公は文章家を目指しているのです。

悪意による改変など、決してやってはいけないことでしょう。

二つ目は、黒人解放問題と、プライベートな復讐とが

ごっちゃになっている感があるところです。

映画は、個人的なリベンジを

うまい感じに

「してやったり!」

みたいに描いていますけれども。

仮りの話ですが、ある人がこう言ったとしたら

どう思いますか?

「この前の仕返しとして、奴のハンバーガーにこっそり

ツバを入れてやったぜ」

このような復讐のしかたを、「すごいね」

「よくやったね」

と、素直に喜べるでしょうか。

当人は、やった直後だけは

溜飲が下がったことでしょう。

ですが全体としては

「和解~協調」どころか逆に 「敵対・憎悪」がつのってしまい

マイナスの結果しか生みません。

またリベンジのやり方としても

陰湿なものを感じました。

あと、これは文句ではなく

単純な疑問なんですけれど、

黒人のメイドの娘さんが、お母さんを

勤め先の家に訪ねるシーンがあります。

そのとき娘さんは

「表玄関から入らないように」と、主人の客にたしなめられます。

娘さんはとても不満げな様子でした。

公共のバスが白人用と黒人用に

分かれていた時代の話です。

トイレも、黒人の使用人は

家の外のを使わなければいけない時代です。

そういう時代に、黒人使用人の身内の者が

裏口から出入りするのは

当たり前だと思ったのですが、どうでしょう。

私が日本人だからか、「裏口に回る」ことに

屈辱とか感じないんですよね。

『サザエさん』でも、三河屋さんが裏口に回るじゃないですか。

もう10年以上もあのアニメを観ていないので、いまだにそうなのかは分かりません。

もしかしたら三河屋さん自体すでに

なくなってしまったかも知れませんが・・・。

言うまでもなくこの

「当たり前」は、1960年代のアメリカでの話です。

その当時、「裏口に回れ」

と言われた黒人女性が、それを不服に感じ、さらに それを態度に表わせるような

時代だったのだろうか、という話です。

まあ、アメリカ国内の出来事を

アメリカ人が語っているのですから、私の「当たり前」のほうを

正すべきなのでしょうね。

「バス・ボイコット事件」で有名な

ローザ・パークスさんのように、「断固としてバスから降りない」

というような感じではなかったので、少し不思議に思ったのでした。

映画を観た後、いくつかレビューサイトを見ましたが、本作の評価の高さに驚いています。

「黒人をいじめていた白人」の映画を

白人が観ることで、罪の償いをした気に なれるからかなあとも思ったのですが、

アメリカだけでなく、日本でも評価が高いので、私がひねくれているだけで、きっと良い映画なのだと思います。 (※ アイキャッチ画像の女性は、サザエさんとは無関係であることをお断わりしておきます) https://www.youtube.com/watch?v=J7Dz85e8vu8